さて解説の形式は以下のようになってます。
○卦名と意味するもの
○卦の一般的な解説
○爻の意味(どれも6つあります。それぞれ身分を表したり、物事の進展の仕方を表します)の説明になります
○僕の注釈
風天小畜諫める方法
小畜とは、小金が貯まる、ではなく、小さき者(妻や部下)が大きな者(夫や上司)を止めることを言います。力が弱いため正面切って立ちはだかるのは無理で、止めようと言う動きは密雲のように湧き上がってはいても、雨が降るまではいきません。諫める時はくれぐれも慎重に。
はやり立つ心を抑え、正道に帰る。
同士・同僚と共に自分を見失うことなく正道に帰り中道をいくこと。
暴走して乗ってる車がバラバラになってしまう。大きな者が小さき者を治めず睨み合ってるせいだ。
誠意を持って当たれば血を見るような最悪の事態を避けることができる。上と心を合わせることができるからだ。
誠意を持って隣人と共に進む。独り占めみたいなことはしない。
諫めることに成功しても自分は小さき者であることを自覚し、出過ぎたまねはしないこと。
注意する点ですが、問題は上下が対立することではありません。自分たちを取り巻く状況が危うくなっており、それをどう乗り越えるかで上下で意見の相違が発生してるということです。ですから自分の意見を通すことは二の次です。勝ち負けではありません。多少の軌道修正で十分で、自分の意見が行きすぎているということもありえるわけです。意固地になって意見を通せと言う爻はありません。
天沢履危険な状況の中を進むとき
履とは踏むこと、実行することです。何事もリスクはあり、無風であっさり成就するということはあんまりありません。虎の尾を踏む(この成句はこの卦に出てきます)ような状況の中で、どういう心構えで実行すべきかをこの卦は説きます。
猪突猛進せず、目上や先輩の意見を聞き現在の状況を検討しつつ着実に進んでいけばトラブルに遭っても目的を達することができます。そして、これは礼儀の「礼」の意味もあります。
あるがままのこころで迷わず進めばいい。
一人で広い道を行く(危険な状況や先駆者であれば道は空いている)。誘惑などに心を奪われてはいけない。
片目、片足なのに人より見える、良く歩けると自惚れてる。このように自分の実力を過信していれば、早晩虎の尾を踏んで食われてしまう。武人が政治をしようとするようなもので力一辺倒なために失敗する。
あえて虎の尾を踏む危険を冒しても、その一方で慎重であれば目的は成就する。
独断専行は正しい行動としても、危険なわざであり慎んだ方が良い。
過去の行いを省みてどういう行動を取るべきか考えること。ならば出処進退は良い結果に終わる。最後に笑う者こそが慶びがあるのだ。
この卦を読めば読むほど「孤立を覚悟する」という言葉が頭に浮かびます。人が付いてこないならまだしも、足下を掬おうとする輩もいるかもしれません。ですが、前例を参考にしつつ「礼」を重んじて慎重に進んでいけば最後には苦労しただけの結果がもたらされるようです。
地天泰上と下との和合
天(上位者)と地(下位者)が一致協力して順調に物事を進めることについての卦が泰です。もちろん上下は比喩であり、上司部下だけでなく、夫妻・親子・師弟さらには友人同士(やはり力関係とかある場合がありますからね)も含まれます。卦の形通り、天地が逆になってることこそが深い意味を持ちます。なぜなら天が天の位置に、地が地の位置にあれば両者は交わることなく離れ続けるだけです。ひっくり返せば、両者は混じり合い理解し合うことができます。このように天と地の和合を説く卦が地天泰です。
茅という草を一本引き抜くと株が丸ごと抜ける。このように多くの志を同じくする人々と活動しよう。
泰平の道に必要な物は以下の4つ。異論などを包容する度量・大河を渡るだけの決断力・疎遠な人とも仲良くする人柄・コネを排除する公平さ
どんなに栄えても衰える時は来る。その時を想定して備えておけば悪く言われることはない。誠の心さえ保っていれば食うに困るようなことはないし、罰せされることもない。人に通じないことも有るかも知れないが、それを思い悩むな。
鳳凰が群れをなして地に舞い降りるように、上位の者であっても自分の足りない所を自覚し下位の賢者に教えを教えを乞う。心から教えを願うと誠心が生まれる。
良き下位者を謙虚に報いれば大吉。
泰平が過ぎると動乱が起きる。無闇に力で押さえつけようとしてはならない。分裂する。
これは和合にポイントがあるのではなく、上位者がいかに部下たちに接するか、を説いたものみたいですね。和合なら水地比がありますし。看守と囚人の心理学実験がありますが、命令する立場に長いこと居ると今の立場が割り当てられた役なのに(上司から、天から)、生来のものと勘違いしてしまう愚を説いたものかもしれません。
天地否八方塞がり
前卦の地天泰とは逆の卦。天は上に向かい、地は下に向かい、全てが離れ、行き違い、背く状態。君子の行う道が小人によって邪魔され上手くいかなくなっている。こんな状況を説く卦が否である。ただ慎重に耐えるのみ以外ない。特に君子はこうなったら才能を隠して難を避けること。誘惑があるが焦って乗ってはいけない。
茅という草を一本引き抜くと株が丸ごと抜ける。このように多くの志を同じくする人々と誠を尽くせ。
小人なら君子の命令を従順に受け入れよ。君子は八方塞がりの状況でも信念を曲げてまで妥協するべきでないが、できれば軋轢の出る方法を選ぶべきではない。
身の程を忘れて富み栄える。恥であることに気付け小畜卦。
ただ上位者の言う通りに動いていれば悪いことはない。そして閉塞状況は破られ仲間と共に福を得る。
閉塞状況の進行を止めることができるようになる。油断をすると危険な状況にまだ置かれているがそれを止めているのはわずかな物事だけであることを自覚すること。
閉塞状況は永遠に続くものではない。打開されると共に、苦しみが止み喜びが訪れる。
易経の一貫する思想は、苦しい目に遭おうともそれは一時的なものであり、また喜びがやってというものです。八方塞がりでもうダメだと思うような状況でも耐えていればいつしか光明が見えて来ると説いています。
これはプラスマイナス0の人生観(人生の幸せの総量は誰も皆一定である)というものに近いと思います。結局、この思想は現世だけではとても説明できないので天国と地獄という「装置」を作り出し総量を一定にしようとして「宗教」が成立するわけですが、易経は来世には一切触れてません。単に「人生には波がある」とだけです。易経の出来た古代中国に置いて死後の世界はどう見られていたのか……。
天火同人 真の同士
同人は苦労を喜びを共にする同士であって、寄せ集めなどではありません。それぞれ豊かな知性と実行力を持ち、孤立を恐れることなく志を貫ける者たちが交友、共同事業のことを指します。寄せ集めではないということは一緒くたに集まろうということではなく、他の集団と違った、何か明確に中心になる思想を共有することです。ですので、集まるという意味と同時に、他集団から一線を画す意味もこの卦にあります。
まず、同士を募集します。自分が何者か、何をしようとするかを広く周囲に知らせ意見を聞きます。
でも、周囲の身内だけで固めてしまうのは良くありません。
正面突破の実力がないため奇襲を行おうとしたが、相手に隙が無いので進めません。
壁が強固すぎて退却。強引は良くないので結果的に良い。
進んでいくうちに意見の相違などで仲間が脱落して孤立してしまいます。しかし、さらに妨害を排除して進んでいくうちにまた同士が現れ成果を手にします。
孤立無援の状態になってしまったとして悔いはない。しかし、良いことでも無い。余人には理解不能になってしまった。
同人が只の仲良しグループでないことは確かですね。それだったら比になります。どうも爻を見ると自分の集団が他の集団と闘争し、いかに勝利するかを描いているようです。周易の作者の頭のなかにあったのは政治的な闘争だったのでしょうか?ところで、三爻は自分たちをPRするため奇抜な行動をとってはみたが一瞬話題になっただけでメジャーになりきれない様子が浮かびます。これは良くある話です。
火天大有 豊かなる盛運
太陽のごとく暖かな光を周囲に与え従えてる盛運の状態のことです。積極的に行動するべきときです。
未熟すぎて良くも悪くもない小畜卦。有害なものを遠ざけて努力せよ。
荷は重いし道も遠いがその大任を果たせるだろう。
取り立てられるのはそれに応じて働ける人々のみにすべき。小人は害しかなさないので止めた方が良い。
上位者より大きな力を持つが自制すること。謙虚な気持ちで判断する。
誠の心で接する。何もしなくても自然な威厳が身に付く。
天はこの人を助ける。順風満帆
取り立てて書くほどのことはありません。何かの仕事を任せられたときの話でしょうか?
地山謙謙譲の心
大有のごとく盛運の状態でもそれを他に分かち、謙るという美徳に付いての卦です。すぐれた才・美・力は謙虚であることでいっそう輝きます。高い山は削られ、その土砂は低きに流れ込みます。君子は沢山あるところから削って足りずに困ってる方へ足して平らにすべしと象伝でも説いてます。出る杭は打たれるから、頭を低くしていろという考え方です。
どんなに偉くて謙って努力し続ける者こそ君子である。こういう人は難事にも勝てるだろう。
謙虚な心は言動に表れる。
天下のために献身し、謙譲する者こそ君子である。皆、尊敬するだろう。
全てに謙譲の心で対処するなら万事順調になる。
自らに傲慢にならず、謙虚に人々と共に教えを受ける。こういう謙った態度でも(侮って)敵対する者は堂々と戦っても良い。
謙虚な心が言動に表れても理解されない場合がある。こういう状態では無理をせずに自分の事だけをするしかない。
成金が馬鹿にされるのはこの逆をするからですね。人間、傲慢な態度を取ると嫌われます。他人を見下しているわけですから。これは金や権力だけでなく、若いと言うだけでオヤジ狩りとかするのも傲慢に含まれます。まあ、傲慢なのは若さの一症状ですが。「実るほど頭をたるる稲穂かな」です。
雷地豫油断大敵
予め計画して手を打って置いて実行するという事の他に喜び・楽しみという意味もあります。何事も物事は突然起きるわけではなくて、目に見え無いながらも少しずつ蓄積されたものがある日突然現れたように見えるだけです。(易は「完全な偶然」は考えてないようです)
他人のまねをしようとして行き詰まる。
怠惰、享楽に溺れずけじめをつけるのが良い。
上位者にへつらう。虎の威を借るような行為は悔いを残す。
天下の楽しみを実現するのであれば(個人の楽しみではなく)、皆に受け入れられ人々が集まり協力してくれる。
下位者が実権を握ってる状況であっても常道を守れば良い。
享楽に溺れて周囲や自分を見失うと危険。
卦としては「準備」の意味があるのですが、爻としては「楽しみ」へウェイトが大きく偏ってます。なぜ、両方の意味があるのかわかりませんが、「楽しみ」が持つ危うさを警告することに重きを置いているようです。
随時内容を追加修正します
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